田辺氏の邸宅

不比等の養育を担った田辺史大隅の邸宅は、
もともとは現在の大阪、河内飛鳥であったが、
後に京都府の山科に移している。

スポンサードリンク

不比等が田辺氏に引き取られたのは、11歳で
唐に留学した兄の定慧が23歳で帰国し、数ヶ月
の後急死した直後である。

このとき不比等は7歳。
突然父から引き離され、長く別れて居た兄と漸く
会えたかと思ったら、数ヶ月で逝ってしまった。

本当に定慧が死んだというのなら...であるが。

というよりも、唐から帰国したのが、本物の定慧
であるかどうか、誰にも解らないのではないか。
なにしろ11歳の少年の頃しか誰も定慧を知らない
のだ。12年も経つと面影も変わる。

鎌足がみすみす息子を死なせるようなへまをする
とも思えない。
死んだ定慧は定慧の身代わりではないという証拠も
またない。

奈良に聖林寺という真言宗室生寺派の寺がある。
多武峰に近く、眼下に箸墓古墳を見下ろす位置にある。

http://www.shorinji-temple.jp/
    ↑
聖林寺のHPにもあるように、この寺の歴史には分からない
ことが多いのだそうだ。「多武峯二十六勝志に見るように、
この寺は談山・妙楽寺(現在の談山神社)の支院の一つであり、
藤原定慧を開基としている。」とある。

スポンサードリンク

この記事のタグ

サイト内関連記事

壬申の乱
同タイトルに関する、Wikipediaの記事を引用する。 『壬申の乱(じんしんの......
日常生活
そんな戦乱の世にあって、山科での生活は どのようなものだったのだろうか。 史(不......
不比等の兄の謎
不思議な事に、この寺の創建年は712年なのだ。 記録では定慧は665年に唐より帰......
不比等を主人公とする小説
不比等の人生を小説にするのは、不明な部分が多い分 かなり難しいが、逆にいかように......
作家別幼少期の不比等
不比等の幼少期は殆ど知られていないため、小説家に よってそのストーリーは様々であ......
不比等の性格
勿論、子供の頃の不比等の性格を知る術はなく、 彼の功績・業績から「こうだったんじ......

▲このページのトップへ

HOME

携帯版のQRコード

藤原不比等の歴史|藤原不比等の人物像:携帯版

携帯サイトは3キャリア対応です。

当サイトは携帯でもご覧頂けます。
携帯版サイトURL:
http://blueskiespc.com/fuhito/m/
上のQRコードから読み取るか、URLをケータイに送信してアクセスしてください。

CFD |  プロアクティブ |  集客 |  SEO 対策