不比等の出世

不比等は鎌足の嫡子ではあったが、大織冠にまで
上り詰めた父から子に、その権力がスムーズに
引き継がれた訳ではない。

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おそらく鎌足の財産や藤原の姓により、貴族としての
生活は保障されていただろうと思われる。
それゆえ、石上朝臣麻呂のように最低の官位からの
再出発とはならない。
貴族の最下位からのスタートである。

当然のことながら、奴婢や農民の苦しみとは無縁な
環境で育った。そんな不比等がリーダーとなって選定
された律令制は、末端の民を思いやるものではなく、
石上朝臣麻呂や役行者の反発を買うことになる。
民百姓の苦しみは、不比等には想像すら出来なかった
のだろう。

しかし、不比等には強力な後ろ盾があった。
持統天皇である。女帝でありながら、単なる中継ぎの
天皇ではなく、天皇として自ら政を行った女帝だ。

この女帝の信頼を得たからこそ、その後の藤原氏の
繁栄がある。

持統天皇は、夫・天武天皇が顧みなかった不比等に
何故そこまで目をかける事になったのか。

天武が不比等を嫌っていたことは間違いないだろう。
故意に不比等の出世を阻んでいたとも考えられる。
しかし、天武亡き後持統の庇護の元での不比等の躍進
ぶりは尋常ではない。

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