石上朝臣麻呂の人間性

石上朝臣麻呂という人物について語るものが少ない
なかでも、一番多いのが狡猾且つ冷淡という人物像
である。

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黒岩氏は、石上朝臣麻呂の人間性をそんな一面的な
ものではなく、自分でも思っても見なかった人情や
苦労人としての忍耐力などを上げている。

当時新羅との国交はほぼ正常だったとしているが、
実は新羅からすると、日本は格下の国であり、せいぜいが
大唐に対して軍事力を集中したい今、日本と事を構えたく
ないがため、あまり日本の機嫌を損ねない程度に考えて
いたようである。
というのも、新新羅大使として何人かの人物が派遣されて
いるが、彼らは皆、新羅の日本に対するおざなりな接待に
腹を立て、感情が先に立ち、大使として詳細な新羅の国情
を伝えていない。

しかし、石上朝臣麻呂だけはそうではなかった。
いかに新羅が日本に対して格下扱いをしようと、くだらない
プライドにこだわって、任務を怠るような愚かな事をしては
昇進のチャンスを逃すだけである。

石上朝臣麻呂は自らの足で新羅の山城の城壁を見る為に
苛酷な山越えをして訪れている。
新羅が唐に勝利した証拠を掴むべく、時間を無駄にすること
なく、情報収集をしたのである。軍事氏族であり、刑事的
性格を強く持つ氏族の血が甦ったのであろう。

その石上朝臣麻呂の仕事ぶりは、時の天皇・天武に評価され、
着実に昇進していった。

しかし、石上朝臣麻呂の天武朝での官位は、最下級だった
のである。つまり、彼は実力でのし上がった努力と忍耐の人
だったのだ。

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