鎌足から不比等へ①
鎌足から不比等へと、スムーズに世代交代できた
わけではない。
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鎌足というのは、天智天皇の側近中の側近だった
人物で、後の天武天皇からしてみたら、敵の参謀
のようなもの。鎌足は娘を天武天皇に差し出して
いるし、壬申の乱の前に鎌足は他界している。
鎌足と天武天皇の間に確執があったかどうかは
定かではないが、兎に角天武帝の時代では鎌足の
後継者である不比等は、ほとんど無視されていたと
言って良い。
不比等も下手に騒がず時を待っていたのかも知れない。
天武帝亡き後、天武の正妃である持統天皇が彼を優遇
するという確信があったとは思えない。
おそらくは運の強い男でもあったのだろう。
持統天皇の不比等に対する寵愛ぶりから、不比等が
実は天智天皇の後胤とする説もある。
上田正昭・元京大教授は藤原氏の血筋をより高貴な
ものとする後裔達による改竄だろうと思っておいで
だったようだが、勿論100%否定出来るものではない。
不比等よりも、不比等の兄である定慧の方は後胤説が
濃厚だ。孝徳天皇が懐妊中の寵姫を鎌足に与えたと
「日本書紀」や「藤氏家伝」に書かれている。
それが事実であるならば、定慧がわずか11才で学問僧
として唐に留学したことにも関係があるやもしれない。
不比等は幼少の頃は史(ひふと)と言った。兄定慧は
幼名は真人(まひと)である。この二人の兄弟の母親は
尊卑分脈によれば与志古娘(よしこのいらつめ)とされて
いるが、何故か父・鎌足亡き後、史は母方の家に引き
取られず、田辺史大隅(たべのふひとおすみ)の家で
英才教育を受けたようだ。
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