鎌足から不比等へ②
この親子が一緒に暮らした年月はわずか11年。
あるいは幼少期を母親の実家で過ごしたとすると
さらに少ない。
しかも、多忙な鎌足は滅多に館には帰らず、
息子と顔を合わせる機会も少なかったと思われる。
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しかし、不比等の辿る道筋を考えると、それは
鎌足が目指したものではなかったか。
だとしたら、どのような形で親から子へ伝えられた
のであろうか。
田辺大隅が大きな鍵を握るのだが、鎌足と田辺氏は
一体どの程度強い結びつきが有ったのだろうか。
車持国子君の娘与志古娘が不比等の母とされているが、
不比等の母の出自である車持氏と、不比等に英才教育
を施した田辺氏がどうやら深い関係にあるらしい。
この二氏族に共通のキーワードが毛野氏である。
どちらも毛野氏族だという説があるが、毛野氏の古墳が
毛野国は現在の群馬県と栃木県の辺りの行政区分である。
群馬とは...あまりにかけ離れた感があるが、毛野氏に
ついて調べて見る必要がありそうだ。
以下はWikipediaからの引用である。
『古墳時代、毛野国は毛野川流域一体に勢力を有し、一つの
文化圏・毛野王国を形成していた。
毛野国の名称の由来は諸説ある。主なものを以下に挙げる。
①かつてヤマト王権から毛人の住む地として毛の国、二字表記
にして毛野の字が当てられた。
②毛は二毛作の毛、即ち禾本科の穀物を指す。昔この地域が穀物
の産地であったことから毛野の名をなす。』
そして、地方豪族毛野氏の出身である下毛野朝臣古麻呂は、
不比等や粟田真人と共に律令選定に携わっている。
いわば、不比等の腹心と言える人物だろう。
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