鎌足の妻
鎌足の妻と言えば、天智天皇より賜った鏡王女と
藤氏家伝に定慧・不比等の母と記されている、
車持与志古娘(くるまもちよしこのいらつめ)が
いる(他にもいるようだが、不明である)。
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車持氏は、群馬県の有力豪族だった。
群馬は江戸時代まで「くるま」と呼ばれており、
ぐんまと呼ばれるようになったのは明治になって
からだと言う。
鎌足がもともと藤原の地で生まれ育ったとしたら、
地方豪族の車持氏との縁はどのようなものだったの
だろうか。
当時は今の結婚と異なり、妻は実家にいて、夫が
妻の元に通う「妻問婚(つまどいこん)」が一般的
だった。大和から群馬はかなり遠く、おいそれと
「ちょっと行ってくる」とはいかない距離である。
不比等に関する伝説がこの地に多いのも、母の実家
であるのだから当たり前と言えば当たり前なのかも
知れない。
母の実家から不比等への贈り物も頻繁にあった様だ。
高崎周辺には多くの古墳群があり、車持氏の墓で
あると見られている。
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