中臣
中臣という姓は、二大勢力のどちらにも与せず
仲介者であることを意味するそうな。
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二大勢力とは、それぞれの組織のTOPを大君と呼ぶ
ものと大王を呼ぶものに分けられる。
大君は今の天皇家の元祖とも言えるグループで
大王は蘇我氏を指すと言われている。
蘇我氏は実はこの国の王家だったのだ。
そして、聖徳太子(その存在についても諸説あるが)
は法王大王と呼ばれていたという説もある。
しかし、蘇我氏が滅んだため、記録も稀で、実体は
解っていない。
蘇我氏は滅んだとはいえ、その後も天皇家の母や妻
として、血筋を伝えて来ているのだが...。
大君は祭祀的役割を担い、大王は政治を司り、大王の
意に大君が賛同して初めて政が行われたと言われている。
当然、この二大勢力が時として反駁し、主権を奪い合う。
そこで中臣が仲裁をしたとも言われている。
もっとも、大君も大王も渡来系氏族であるわけだが、
大君は百済人、大王は新羅人だと言う向きもある。
中臣については常陸の豪族説があるが、鎌足は養子だった
とする説が有力のようである。
中臣は古くから物部と共に排仏派として、蘇我氏とは敵対
関係にあったとされる。
漸く見つけた安住の土地で、これから自分たちの国造りを
しようというのに、仏教を取り入れ大陸の属領になるわけ
にはいかない。古くからある土地の宗教を上手く取り入れ
新しい異国の血との混合によって出来る新しい独立国家を
造るために、鎌足はこの国にやって来たのではないか。
そして、鎌足の嫡子である不比等がその意志を継ぐ者として
その身辺は厳重に警護されたのではないか。
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