古代日本の情報源
古代日本のお手本は、唐だったというのは誰もが
認めるところで、諸外国に関する情報も遣隋使や
遣唐使が大陸から持ち帰り広めていた。
...本当にそれだけだろうか?
行って帰ってくる、そのうちにも大陸の情報はどんどん
古いものになっていっただろうし、常に大陸に後れを
とることになる。
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粟田の真人が2年の間に、日本に情報をもたらすべく
ネットワークシステムを構築してきたのではないかと
考えている。
遣唐船は危険であるが、インドや中東諸国には航海術
に長けた集団がおり、そうした人々と積極的に交流し、
コネを作り、常に人が新しい情報を持って日本に渡航
してくるように図ってきたとは考えられないだろうか。
大陸と、周辺国との国際関係も含めた様々な情報は
確かに価値あるものだっただろうが、それだけで世界の
中の日本を俯瞰して見るなどということは、千里眼でも
無い限りできないはずだ。
法隆寺の解体工事をしたときに、当時の木材から
イスラム圏の名前が墨で書かれていたものが発見
された。我々が思っている以上に古代日本は国際交流
がさかんだったのではないだろうか。
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