不比等が目指したもの
もし、不比等が野心だけの人であったなら、三千代の
野心も、蘇我の娘達の思惑も、全て目障りなものだった
に違いない。
しかし、本当にそんなものだろうか?
幼少の頃より死ぬまで、不比等にあったのは単なる
野心だけなのだろうか?
野心の果てに手に入るものに、どんな満足があると
言うのだろうか。
彼が目指したのは大国と対峙しうる「国家」を作る
ことだったのではないだろうか。
幼少時の不比等には親戚がいない。
鎌足が渡来人であったならそれも不思議ではない。
鎌足が彷徨える外国人であったなら、自分の祖国と
言える国を持つことは、正に悲願ではないのか。
古代日本は、諸外国の勢力が自分たちの王国を築かん
とせめぎ合う、混沌とした土地だったのではないかと
想像する。中には敵対する民族もあったのではないか。
だから戦わなければならなかった。
いかに天智天皇の後胤説があろうと、不比等は鎌足の
息子であると直感的に思う。
あの親子は同じ目的の下に動いていると。
そして、最早不比等は自分を排除することの出来ない
立場を手に入れた。
多少無茶はしたが、律令制度も完成し、国家らしき国を
造った。この後誰がTOPに立とうと、「日本国」という土台は
最早崩れないものになっていただろう。
この後この国の運営は、やりたいものがやれば良い...と、
もしかするとそこまで達観していたかも知れない。
(C) 2009 藤原不比等の歴史|藤原不比等の人物像