定慧の生死
ここから先は妄想だと思って欲しい。
定慧は死んでいないと思っている。
定慧が孝徳天皇の後胤だろうと何だろうと、
当時鎌足にとって唯一の嫡子であった。
まだ不比等が影も形もなかったその時に、
息子を守る為に唐に留学させたのだ。
生きて帰って来れないかも知れない危険な
遣唐使船に、大事な跡継ぎを乗せなければ
ならなかった鎌足の心中はいかばかりだった
だろう。
鎌足は天智天皇の腹心と言われているが、
天智天皇は猜疑心が強く、誰にも心を許さなかった。
それは鎌足に対してもそうであったろうし、鎌足も
天智の豹変を常に危惧していただろう。
定慧を唐に送り込んだ後、次男史が誕生する。
史にも天智天皇後胤説があるが、これは無いと
考えている。史は紛れもなく鎌足の息子だと
思うのは、目的の継承があると見たからだ。
しかし、鎌足は史が幼い頃に他界している。
父と子の仲介者がなければ情報は伝達されない。
その継承者を、死んだはずの定慧と見るのは
妄想に過ぎるだろうか?
定慧は帰国すれば暗殺の危険があるだろう事は
誰もが知っていた。解っていてみすみす殺される
ようなヘマをするだろうか?
定慧は生きていた。
生きて史の補佐をしたと考える。
(C) 2009 藤原不比等の歴史|藤原不比等の人物像