群馬の多胡碑
不比等の母方の実家である群馬には、前にも紹介したが
多胡碑なる史跡がある。
多胡とは、胡(外国)人が多く住むことを示唆していると
思われる。
唐では、胡人と言えばソグド人を指すと言われている。
ソグドというのは、今のイラン、ペルシャ系民族である。
群馬にペルシャ人が渡来して住み着いたのだろうか?
何故群馬なのかは知らないが、彼の地に力を持ったある
特定の外国人がやってきて住み着き、当地を支配した
ようである。
中臣姓とは言え、鎌足には血の繋がった親戚は中臣の中
にはいない。不比等には従姉妹すら居ないのである。
これはどう考えても不自然であろう。
鎌足の父は中臣御食子、母は大伴の出である。
鎌足の母である大伴囓子は、常陸の国の豪族であった。
常陸...つまり今で言う鹿島の辺りである。
噂ではスキタイ・サカ族がやってきて鹿島神宮を建てた
というのがある。
以下はスキタイ・サカ族に関するWikipediaからの引用である。
「サカ(Saka)は、古代中央アジアのイラン系遊牧民。紀元前
6世紀のアケメネス朝期以降に古代ペルシア語でその名前が
用いられるようになり、歴史上に存在が明らかとなる。
ギリシャ語ではサカイと呼ばれたが、ギリシャ語でスキタイ
(スキュタイ)と呼ばれた黒海北岸のイラン系遊牧民と民族系統、
名称がよく似ており、サカとスキタイは同じ民族であるという
説もある。」
鎌足の母方の実家にはスキタイ・サカ族が、不比等の母方、つまり
鎌足の妻の実家にはソグド人という、ペルシャ繋がりの奇妙な
関係が見えて来る。
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