車持氏の本音
不比等と定慧の母である与士古娘は采女である。
群馬の地方豪族である車持氏は、与士古を大和王朝に
人質として差し出さなければならなかったようだ。
采女というのはそうしたものだ。
やがて彼女は孝徳天皇の目にとまり、身籠もった。
身籠もった与士古を鎌足に下された...という。
真偽の程は定かではないが、身籠もった采女など
貰っても迷惑なだけではないか?
後々お家騒動の元凶にもなりかねない。
果たしてその通りになった。
孝徳天皇が旧都に置き去りにされ、その後おそらくは
暗殺されたであろう事は多くの研究者が語るところだ。
采女が産んだ子供が実際は鎌足の子であったとしても、
前天皇の落胤の可能性が少しでもあれば、それを盾に
現政権の崩壊を企む者が現れないとも言えない。
謀反の芽は地上に出る前に摘むのが一番確実なのだ。
采女の生んだ子はわずか11歳で唐に留学し、23歳で
帰国して1ヵ月後に変死したとされている。
大和政権に鉄や輿を貢献していた、群馬の豪族・車持氏
は多分誇り高い一族だったのだろう。
一族の一の姫を人質に取られた上、その子供の未来を
奪われたとあれば、内心煮えくりかえっていたのでは
ないかと想像する。
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