不比等の乳母は誰だったのか




不比等が幼少期を山科の田辺史の家で養育された
ことは解っているが、それ以前の事を知ろうと
しても、何処にもそれらしき資料がない。

当時の結婚観を考えると、幼少期は母親の実家で
育てられるのが一般的である。
不比等も現在の群馬、車持氏の本拠地で生まれ
育ったと考えるのが自然である。

不比等が産湯を浸かり、母乳を飲んだのは、母自身
だったのだろうか。それとも古代のしきたり通り
乳部の様な育児専門の集団がいたのか。
古代に於いて乳母というのは、橘三千代の例でも
解るように、現代の我々が思う以上に影響力が
あったのだ、不比等の乳母が誰であったのか、かなり
気になるところである。

不比等と東国六腹朝臣との関わりは深く、律令編纂の
編者の中にも下毛野古麻呂などがいる。一方幼少期に
育てられた田辺氏からも百枝と首名が選定者に任命
されていおり、不比等が彼ら東国六腹や田辺氏との
繋がりを非常に重視していたのが解る。

ちなみに、東国六腹朝臣と呼ばれている六支族とは、
上毛野朝臣、下毛野朝臣、佐味朝臣、池田朝臣、
車持朝臣、大野朝臣のことである。


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