羊太夫は遊牧騎馬民族の末裔?




羊太夫は、羊を遊牧していたためにつけられた
名前だという研究者がいる。

群馬の漢字の由来は、騎馬民族が住み着いていた
ことにあるとも言われている。
つまり、羊を放牧している遊牧騎馬民族が群馬に
来ていたということだろうか。

ただ、どこから来たのかとなると想像の域を出ない。

モンゴルあたりからやってきたという説。
製鉄技術を持つことから、ヒッタイト帝国の末裔説。
多胡という名前の由来から、ペルシャ系渡来人である
ていう説。そして、羊太夫が秦氏と関係あるという
ことから、ユダヤ人説まで幅広くある。

何故こうも、古代日本の豪族、王族にユダヤ人や
ペルシャ人がその候補として頻繁に登場するのだろう。

モンゴルあたりの遊牧民なら、製鉄技術を持っている
可能性も高い。しかし遊牧民は定住することを軽蔑する
民であり、そういう人々が日本列島にやってきて定住
するどんな理由があるのだろうか?

ヒッタイト人の末裔というが、ヒッタイト人は実は
ドイツ系民族であると言われている。
そんな風貌だとしたら、かなり異質だっただろう。
ヒッタイトに関する研究はドイツが一番進んでおり、
ヒッタイト語もドイツ語に極めて近いと言われている。
ヒッタイト滅亡後、ヒッタイト人達はドイツのヘッセン
あたりに移住したとも言われている。

鉄器はヒッタイト帝国起源説が定説だが、実はもともと
アナトリア地方の一民族が製鉄技術を持っていて、帝国
の支配下になっただけのことで、ヒッタイト帝国よりも
古い時代から鉄の製造は彼の地で行われていた。

従って、ヒッタイト帝国が滅びた後、別の民族の支配下
に置かれたとしても、彼らはそのままそこに住み続け、
現在のトルコに同化してしまっているのだ。
そんな彼らがわざわざ極東の未開の地にやってくる理由も
あまりないと思われる。

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