車持氏の謀反




車持氏が中央政権に抵抗していたのは、欽明天皇の頃
である。欽明天皇は推古天皇の父親であり、斉明天皇
の祖父にあたる。そして聖徳太子の祖父でもある。

欽明天皇は継体天皇の異母兄弟達との間に軋轢があり、
欽明天皇の即位はクーデターによるものとされている。

欽明天皇の母親は仁賢天皇の皇女であり、妻は蘇我稲目
の娘、堅塩媛(きたしひめ)である。

一方の安閑・宣化天皇の母親、尾張目子媛(おわりの
めのこひめ)は、継体天皇の最初からの妃であるが、
地方豪族の娘ということで血筋的には欽明天皇の方が
正統派ということになる。

クーデターはおそらくは蘇我稲目による後押しがあった
ためであろうと思われる。稲目は自分の娘を欽明天皇妃
とすることで、天皇家の外戚としての地位を確立する。

しかし、その後も蘇我氏の娘との間に生まれた推古女帝
などが出るも、皮肉にも宣化天皇の娘広姫との間に生まれ
た皇子(後の敏達天皇)の血筋が残って行く。

面白い事に、藤原不比等の11代後の男子が、尾張氏の
娘との婚姻により、藤原と尾張が結びついている。

車持氏は欽明天皇がクーデターを起こし即位した時に
中央政権への帰属を拒否し征伐され、領土も没収された。

そんな昔あるわけであるが、西暦にして530年〜540年
ころのことであるから、不比等の時代には1世紀半も前の事
になる。

不比等は母方の家系の不名誉な歴史を伝説により塗り替え、
名誉回復を図ったのだろう。没収された車持氏の領土は
不比等の時代に返還されている。


(C) 2009 藤原不比等の歴史|藤原不比等の人物像