飛鳥の石像物
飛鳥には謎の石造物が点在している。
酒船石、益田岩舟、亀石、鬼の雪隠、猿石なる奇顔石。
これらは、いつから、何のために作られたのか、何も
記録が残っていない。
作家の松本清張は、これらはペルシャ帝国がイスラム
帝国に滅ぼされた時に、多くのペルシャ人がこの地に
やってきたと見ている。つまりあれらの石造物は彼ら
ゾロアスター教徒によるものだと考えておられた。
日本にやって来ていたのはイスラエル人だけではなく、
ペルシャ人もいたということなのだ。
玉虫厨子などに見られる螺鈿の技術はペルシャ伝来のもの。
遠く海を越えてはるばる運ばれて来たものもあるだろうが、
技術者集団が彼の地よりやってきた可能性もある。
そして、法隆寺の木材に残るアラブ系名の落書きも
あることから、遠くアラブからも働きにやってきて
いた人々が居た。我々が思う以上に、当時の日本は
国際的だったのか。
或いは彷徨える人々が最後に到達した地が、ここだった
ということなのだろうか?
かつてこの地は来る者を拒まず、自分たちの国造りをする
ことを阻むものもなかった。豊かな自然、穏やかな気候、
闘争に疲れ、逃れて来た者達にとって、ここは楽園だった
かも知れない。
かつて飛鳥の地で主権争いをしていた者達は、いずれも
どこか外国からやってきた渡来人だった。
何族が何処からやってきたのか、確定するものは無い。
が、秦氏は新羅系だとかイスラエル人であるといわれ、
蘇我氏は百済人であると言われ...いろいろな噂はある。
平姓はペルシャ系であるとも言われている。
どれも胡散臭いと思えば胡散臭い、しかし完全に否定
する材料もないのは確かだ。
鎌足が渡来人なのは間違いない。しかし、どこから渡来
してきたのかは想像するしかないのである。
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