聖徳太子は実在したのか?




梅原猛氏は、太子は実在の人物であるという前提のもとに、
「隠された十字架」を書いておられたが、最近聖徳太子は
実在の人物ではないという説が浮上してきている。

藤原氏が怨霊を感じるとしたら、それは聖徳太子ではなく、
蘇我氏の怨霊ではないだろうか。
不比等亡き後、四人の息子が次々と疫病で死んだ時、人々
は蘇我氏の祟り、あるいは大津皇子など諸皇子の祟りだと
思ったかも知れない。

では、不比等が聖徳太子という人物にスポットライトを
当てて祟り神の如く祀りあげたのは何故か。

言うまでもなく藤原不比等という人物は、人々の信心
を利用するために怨霊を作り出しはしても、怨霊など
信じ、恐れるような人間ではない。

不比等の父鎌足は、中大兄皇子の名で知られる葛城皇子
と共に蘇我入鹿暗殺を謀ったが、それは明らかに謀反で
ある。それを正当化するために、蘇我氏が滅ぼした太子
一族を神に祀り挙げる必要があったのではないか?

しかし、祟りを封じ込めたというのはどうだろうか。
面白い説であり、説得力もあるのだが...

法隆寺中門の柱に関して言うなら、ギリシャ様式を模した
ものだと言われいる。確かに真ん中が膨らんでいる形で
エンタシスと言われる様式だ。柱間が偶数であっても
不思議ではない。

平常遷都の折、多くの国から労働者がやってきている。
その中にギリシャ人が居てもおかしくないし、国際都市
だったなら古代ギリシャの情報くらいあっただろう。

聖徳太子という人物が存在したのかしなかったのか。

用明天皇と穴穂部間人皇后(蘇我氏の娘)との間に生まれた
皇子に厩戸皇子がいたのは間違いないようだが、後に伝え
られる聖徳太子は不比等によって脚色された架空の人物
であるかも知れない。

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