大宝律令の編纂




律と令が初めて一体となった、本国初の律令である。
緊迫する周辺国家との国際情勢の中で、国家としての
独立・安定が急がれていた当時、律令制の完成が最重要
事項であっただろう。
中央政権的統治国家になくてはならない刑法と、地方
行政区分の制定を同時に行ったのである。
これにより、日本史上初めて「日本国」という国号が
定まったとされている。
そして、天皇中心の官僚機構ができあがったのである。

それ以前の律令と言えば、飛鳥浄御原令があるが、
こちらは戸籍制度や50戸を1里とする地方制度、班田収授
に関する規定が主な、律を伴わない「令」(今で言うところの
行政法とか民法に当たる)のみの法典と言われている。

この令の部分を、日本の国情に合ったものに改変しつつ、
律の条文を整えていき、701年8月3日に「大宝律令」が
完成した。

大宝律令による統治・支配は、本州、四国、九州のほぼ
全域に及んだが、東北地方はその支配には属していない。

この時の編纂メンバーの長は、取り敢えず刑部親王(忍坂部
皇子とも言われる。天武天皇の皇子)となっているが、実際
の作業は不比等と粟田真人が中心となって行っていたと見て
良いだろう。

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