技術と人材




シルクロードの東の果て、それは日本。行くだけで
なく、来る人も多かったのではないだろうか。
この国は不老長寿の薬があると噂されていたとか。

不比等のネットワークの根幹にあるものが、自らの
出自と関係あるかどうか不明だが、独自の情報網を
持たないものは不要な骨董品になっていくだけだ。

粟田真人を海外出張させるのは、山積みの仕事を前に
不比等にとっては痛い決断だっただろう。
しかし、彼ほどの人を死なせる訳にはいかず、そして
彼ほどの人でなければ派遣する意味もない。

粟田真人を乗せた遣唐船は、絶対に無事に「行って
帰って来れる」ものでなければならなかっただろう。
当時の航海技術や造船技術に関しての資料は少ない
ようだが、法隆寺建設などに残る中東地域からの
技術者達の落書きから推測するに、高い造船技術を
持った集団も日本に居た可能性がある様に思う。

ギリシャあたり、例えばフェニキア人が来ていても
おかしくはない。そんな記録は残念ながら残って
いないが、記録がないからと言って否定できるわけ
でもない。あくまでも推測の域を出ないのだが...。

日本という国は、未だ国家としては全国を統一して
いない、生まれる前の胎児のようなもの。
フロンティア精神旺盛な外国人達の挑戦の場であり、
夢の島だったかもしれない。

(C) 2009 藤原不比等の歴史|藤原不比等の人物像