平城京
なんときれいな平城京...で、日本人なら誰でも遷都の
年を知っている都であるが、「平城」とはそもそも
「なら」の正式名称である。
遷都の詔が出されたのは遷都の2年前、708年の2月、
元明天皇によって発せられた。
そして、詔の内容から遷都は元明天皇の意志による
ものではなかったようだ。
当時風水は都の位置を決める上で重要視されており、
東西南北を四神が護っているとされていた。
東は青龍(せいりゅう、又は、せいりょう)、南は朱雀、
西は白虎、北は玄武(へびと亀で表されている)により
守護されている場所でなければならない。
つまり、東側に川、南側に窪地、西に大道、北に山が
あるという地形こそが理想だったわけだ。
それを「四神相応」と言った。
しかし疑問である。
平城京の東西南北に、川・窪地・大道・山がそれぞれ
有るだろうか?
地図を見る限り、そうではないように思えるのだが...
ひょっとすると、この遷都はかなり無理のあるもので
あったのかも知れない。
そして、平城京はもともと不比等の邸宅があった場所
とされるが、平城京が先か、不比等邸が先かがはっきり
しないため、ここでは一石を投じるに止めておく。
兎も角も、これら四神は高松塚古墳の壁画にも描かれ、
当時はポピュラーな架空動物だったようだ。
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