氏姓制度




人種・民族の坩堝だった大和・飛鳥。
不比等が幼少の頃はどの民族がこの国を統べるかの
戦いが朝鮮半島や大陸も巻き込んで繰り広げられて
いたのだろう。
不比等が父・鎌足の元に居ては、有事の時に嫡子を
失うこととなるからなのか、或いは次男・不比等にも
長男定慧同様、天皇後胤の噂が当時既にあったのか。
幼少の頃の不比等は父鎌足とは離れ、田辺氏に
引き取られ養育されていたという。

田辺氏もまた渡来人の1種族であるが、百済系の氏族
である西文氏(かわちのふみうじ)の下で、文書記録など
仕事をしていたと言われている。
となると、不比等が百済語を流暢に話した可能性は高い
のである。不比等の養い親は田辺史大隈(たべのふひと
おおすみ)という人物であり、英才教育を受けたはずだ。

不比等が律令制度を選定する以前の律令制は不完全な
もので、国造りに欠かせない行政に関してはかなり大雑把
なものだったとされる。

氏姓制度について、日本人なら誰でも小学校の教科書で
習った記憶があるだろう。氏は家で姓は階級だ。
田辺史というのは、田辺家は史という階級の地方豪族で
あることを意味する。

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