壬申の乱




同タイトルに関する、Wikipediaの記事を引用する。

『壬申の乱(じんしんのらん)は、672年に起きた
日本古代最大の内乱であり、天智天皇の太子大友皇子
(おおとものみこ、1870年(明治3年)弘文天皇の称号
を追号)に対し、皇弟大海人皇子(おおあまのみこ、
後の天武天皇)が地方豪族を味方に付けて反旗をひる
がえしたものである。反乱者である大海人皇子が勝利
するという、例の少ない内乱であった。天武天皇元年
は干支で壬申(じんしん、みずのえさる)にあたる
ためこれを壬申の乱と呼んでいる。』

とある。
不比等が田辺史大隅の家で過ごした幼少期は、正に
壬申の乱の真っ只中だった。

もしも、このとき不比等(幼少期は史といった)が田辺氏
に預けられていなかったら、天武天皇側にしてみたら
敵の副将のような鎌足の息子を見逃しはしなかったかも
知れない。その頃の史を周囲の人々がどのように思って
いたか、どの程度の印象か、こればかりはどんな文献を
読んでも知ることが出来ない。残念ながら。
だから、この乱によって、史が危険な目に遭ったかどうか
想像するしかないのである。

これが戦国時代だったなら、例え幼子といえど生命の危機
は免れなかっただろうが...。

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