大津皇子の謀反
女帝・持統が我が子草壁皇子の将来を案じたのは
言うまでもない事である。
あらゆる面で、草壁よりも勝っている大津皇子は
自分の死後をイメージした際、最も危険な存在で
あったことだろう。
最悪のシナリオを想定し、リスクを事前に排除
するのが王者たるものの役割である。
それが例え一国の王たる器に非ずとも、直系のみ
が皇位を継ぐというルールを、謀反という形で
曲げさせるわけにはいかない。
持統は心を鬼にして甥を切り捨てたのだろう。
実姉の息子であり、血の繋がった甥であっても、
後々この制度を曲げようとすることが無いよう、
みせしめの意味を込めての処刑だったかも知れない。
持統の精神状態はどのようなものだったのだろうか。
百傳 磐余池尓 鳴鴨乎 今日耳見哉 雲隠去牟
(ももづたふ 磐余の池に鳴くかもを
今日のみ見てや 雲隠りなむ)
大津皇子の辞世の句である。
磐余の池に鳴く鴨も、今日を最期にもう見ることは
ないのだ...という意味だが、謀反の罪で処刑され
ようとする人間が、こんな歌を詠むだろうか。
これについては諸説あり、辞世の句は柿本人麻呂の
様な歌詠みのプロが、本人に成り代わり詠んだと
する説もあるようだ。
磐余の池が何処にあったのか解って居ないようだが、
ここで処刑された大津皇子の最期を、大勢の人間が
見物したようだ。
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